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【第1章】 『ロッキング・タイム(中編)』

ドン! ドン! …銃声が周囲に響いた。

正樹の頭に二発、鉛の弾丸が貫通して即死だった…はずだった。

「考えるより、感じろ」

先代オーナーが最後に教えてくれた言葉が、車を降りたときから頭の中をかけめぐっていた。無表情を装って反撃のタイミングを計る。あとは、その時がくれば本能のままに身体能力を駆使して、求める状況へと誘い込んでいけばいい。いまがまさにその瞬間だった。

 正樹はわずかな反動で真横へ身体を回転させた。地面から膝丈ほどの位置に頭が位置し、足先は丁度、正樹の頭ひとつ半ほどの高さの位置にあり、空中で逆立ちしながらさらに回転が続いていた。地面に手をついて回転する側転とは違い、身体を支えるために地面を着地する位置の予測が容易な手を狙うことも、非日常的な動作である身体全体から回転している頭だけを狙って致命傷を与えることも不可能だった。運悪く、足にあたるぐらいの覚悟はあったが、そうなったときの状況も想定済みだ。しかし…。

(こんな爆弾だらけの場所で撃ててたまるか!)

正樹は確信していた。拳銃は本物だとしても、装填(そうてん)されてある弾丸は弾頭のない空砲に違いない。音だけが派手に響くおもちゃと同じだ。正樹を威圧し、追い詰めて、あげく撃たれたと思い込ませ、怯えてひるむ姿を想像して優越感を味わいたかったに違いない。正樹がアポロンの想定した台本どおりに動く必要はなく、それを利用して意表をついて状況を有利に導いてこそ、勝機が生まれる…それを実践し、見事にアポロンを出し抜いた。

「貴様―っ!!」

アポロンは逆上して拳銃を放り投げると、正樹に突進してきた。すでに1回転を終えて着地した正樹は着物のすそをまとめあげ、行動しやすいように丹前を脱いで左腕を守るようにくるんでいる。そして数メートルまで近づくアポロンを正面に見据えた。渾身の右こぶしが正樹を狙う。対して正樹はくるんだ左腕を盾のように構えつつ、アポロンに向かって走り出す。

「骨ごと砕かれたいかーっ!!」

アポロンの骨格は特殊金属で形成されている。本気になれば150ミリの鉄板だって貫くことが出来るデータを過去の戦闘から把握していた。たとえるなら包帯を巻いた発泡スチロールに全力のこもったトンカチで叩けばどうなるか…身をもって再現するようなものだった。

(速さは…見切れる! あなどったな!)

アポロンの動作が最高値でないことを体感して、正樹は相手の心理的変化を見切る。アポロンはまだ正樹をあなどっていたのだ。そしてアポロンを驚愕させることに成功した。激烈な右こぶしの一撃を左腕一本で受けると見せかけて、激突する寸前、攻撃範囲から全力で地面を蹴って跳躍しながらギリギリでアポロンの脇をすり抜けた。背後でアポロンが急停止して、即座に回し蹴りに転じて正樹のいる場所へ致命傷の一撃を見舞った…はずだったが、空気を切り裂くだけにすぎなかった。正樹はすでに遠くはなれて高級外国車のそばにいる運転席にいた男を目指して疾走していたのだ。

(ここまでは狙い通りだ…!)

 アポロンが拳銃の消音装置を外したときから、この状況まで仕向けることを狙っていた。状況を見て銃器類の飛び道具が使えないなら、代わりになる刀剣類の武器が、護身用として乗ってきた車の中にあるはずだ。アポロンは自分の力に絶対的な自信があるので、格闘戦に持ち込もうとするだろう。しかし、運転席にいた男が生身の人間だったら…?

 正樹の読みは正しかった。男はまさに車の後部トランクから、極道が扱う闇色に染まった白鞘の日本刀を取り出し、後部座席の真横で様子を伺っていたところだった。

「奪う気だ! 斬り殺せ!」

的確な判断だな…自分の背後から聞こえるAI搭載の自動歩兵の声にそう思った。それぐらいの気迫がなければ、正樹を出し抜くのは容易ではなかった。もはや下町の時計屋店主の優しいまなざしではない。眼鏡の奥には飢えた野獣のごとく冷酷な殺気がみちて、運転手の男を一瞬で恐怖させ、動きを止めることに成功した。その隙を逃さず、姿勢をかがめた正樹は地面を蹴って跳躍しながら左ひじを折り曲げて男の腹部にぶちこんだ。全体重のかかった一撃だ。痛烈な痛みを腹部に受けた運転手の男は苦悶の声を発しながら前のめりにうずくまる。すかさず、地面に両足でふんばると一瞬のためらいもなく、とどめの手刀を男の首に打つ。わずか数秒の出来事だ。運転手の男は日本刀を握ったまま、意識を失って倒れ始めた。

「ちいっ!」

舌打ちが真後ろで聞こえた。振り向けば眼前にアポロンがいるに違いない。正樹は気絶して倒れていく男の手に握られた日本刀の柄を握り締め、瞬時に抜刀するとためらいなく左にくるんだ丹前に突き刺し、両膝を折り曲げて短くジャンプした。車の屋根に設置されている鉄棒のルーフキャリアに両腕を伸ばし、意図的に右手を逆手にしながら無事両手でつかむまでわずか数秒。それでも遅いと感じていた正樹は、ジャンプした瞬間に足を全力で折り曲げた。結果的に、それが致命傷から回避したことになった。すれ違いざまに莫大な破壊力を持った一撃が、正樹の足元をかすめたのだ。

 次の瞬間、雷が落ちたようなすさまじい爆砕音が正樹の真下で怒号となって響いた。

 アポロンの左のとび蹴りが、高級外国車の後部ドアに直撃したのだ。一瞬正樹の視界にも入ったが、アポロンの左足から細く青白い稲光(いなびかり)が行く筋も発生していた。おそらく破壊力を全開にして放った一撃だったにちがいない。分厚く改造されたドアは圧倒的な破壊力のもとに粉砕され、アポロンの左膝まで扉の中に埋まっていた。直撃を受けていたら、残りの人生で両足を使って歩行することは夢物語になっていたことだろう。

 だが悪夢は続いていた。

 あまりの破壊力に、車が絶叫をはじめたのだ。すべての防弾ガラスが一瞬で吹き飛び、水しぶきのように飛散しながら、衝撃に耐え切れず車自体が真横に宙を描いて飛んでいた。アポロンは改造されて3トン近くもある車体を片足で吹き飛ばしたのだ。数秒後には向かい側の前と後ろのタイヤにすさまじい衝撃が加わって着地するに違いない。その後、車がどうなるか…いずれにしろ予測不可能な数秒の世界に正樹はいた。しかし、動きをとめることはしなかった。正樹はアポロンの攻撃余波の衝撃波を利用して、両足を伸ばしながら、両腕で握っているルーフキャリアの鉄棒を起点にして車の屋根の上で逆立ちをこころみた。手を離して空中に放り出されればアポロンの反撃から逃げる場がなくなり、選択の余地がない。まもなく着地する車の衝撃が正樹におそう一瞬前、アポロンを見ると、左足を車の後部扉に埋もれたまま、上半身をひねって左こぶしを構えていた。その先には正樹の逆立ちする頭部が延長にある。この状態でなお正樹にとどめを刺そうとしているのだ。

(くうっ!)

正樹は左手をはなして逆手にもった右手の握力と腕力を限界まで発揮するとさらに身体もひねった。空中にかたむきながら吹き飛んでいる車の屋根の上で、逆立ちしながらなおも車の前の座席の方向に半回転して、左手を限界まで伸ばして、ルーフキャリアの鉄棒をつかむ。それがまさに間一髪のすさまじい攻撃からの回避だった。

 正樹がそれまでいた位置にアポロンの左こぶしが直撃していたのだ。またしても空を切ったアポロンの激烈な視線と、決死の反撃を狙う正樹の視線が激突した。

 瞬間、大きな衝撃が正樹とアポロンを襲った。向かい側の前と後ろのタイヤが地面に着地したのだ。タイヤの空気圧が上限まで衝撃を受けパンクする。しかし、それでも衝撃をすべて受けきれず、なおも地面をはじいて車はさらに回転を続けて宙にとんだ。この瞬間も二人はすさまじいバランス能力を発揮して、動きをとめなかった。

 アポロンはすでに伸びきった左こぶしを気にせず、右こぶしを構えていた。かたく握り締めた拳から青白い稲光が発生している。直撃をくらえば、死んだことすらわからないほどの破壊力が一瞬にして爆発するだろう。勝負するならここしかない! 正樹は意を決した。右手をルーフキャリアの鉄棒から離すと、左腕にくるんだ丹前に突き刺していた日本刀の柄を力強く握り締める。滑り止めがないので、しくじったら人生のカウントダウンが一瞬で0になるだろう。握った柄に気迫をこめた。体中の全神経を過敏にしたところで、丹前でくるんだ左腕から液体が流れるのをこのときはじめて感じた。が、気にしている間はなかった。正樹は一瞬の迷いもなく身体をひねりながら、反動をつけて右手の抜刀速度を加速させる。

「そんなモノで、俺が斬れるかーっ!」

車の回転がなおも続き、車の屋根が空中で地面の方をかたむきかけたときの、自動兵士の勝ち誇った絶叫だった。この瞬間も正樹は一切動じていなかった。ただ、全力あるのみ!

互いのすさまじい兇器が激突した。

 アポロンの全力を開放した右の拳が彗星のごとく正樹の顔面に迫る。正樹は表情一つ変えず左手一本で支えていた逆立ちのまま、ためらうことなく握った日本刀を丹前から抜刀して水平一文字に一閃した…瞬間、自分の身体を支えていた左手も離した。斬り通す力をさらに極限まで加速させるためだ。自分の身体を支えていることで、切れ味が落ちるなら、ためらいなく必殺の一撃に全身全霊をかけたのだ。

 張り詰めた静寂の中、金属的な高音が間を置かず二度響いた。

そして…地面に落ちるものが五つあった。一つは吹き飛ばされた車が着地して二、三度転がり続けて止まった…。次に正樹が斬り飛ばしたアポロンの残骸が二つ。そして正樹の左腕にくるまった丹前が、日本刀を抜刀した反動で左腕から放れおち…最後は意図的に空中に身を投じた正樹が綺麗に着地した。空中に身を預けてもなお、体勢を整えて回転しながら、日本刀を握り締めてはなさずに片膝をついて反撃体勢を組み立てたのは神業に匹敵するだろう。その上、いまだ全周囲に気迫と警戒をこめた。勝負どころを越えた直後だが、それだけに一番気の緩みが激しく、返り討ちにされることをこれまでの経験から知っていたのだ。アポロンは誰も退避していないといったが、正樹自身が確認したわけではない。注意するにこしたことはないのだ。また、車の爆発も警戒したが、かなり頑丈に改造されているようで爆発する気配はなかった。電気自動車であったことも幸いしたようだ。

「…終わった、か」

確かな手応えを感じた日本刀が虹色に輝いていた。正樹はゆっくりと立ち上がると、それを振り切り、地面へと刀を突き刺して手を離した。そして腰が抜けたように座り込んだ。吹き飛んだ車の方をみると、AIを搭載した自動歩兵が機能を完全に停止していた。

「…自信過剰なところが、お前の欠点だ。あの時もそうだったな」

以前のアポロンのことを思い出した。異国の軍事基地にあった火薬庫へと誘い込み、正樹が火薬庫ごと吹き飛ばしたのだ。復讐も果たせず、アポロンはまたしても正樹に敗れた。

 アポロンに誤算があるとしたら、あの丹前だった。真綿の中に『ホーリー・ウォーター』とコードネームがつけられた液体が入っていた。その液体でコーティングされた金属は数秒間だけ、どんな金属でも切断可能になる。ちょうど右の襟首のあたり…その部分だけに小さなプラスチック製の小瓶にいれて仕込んでいたのだ。先代オーナーから託された…手元にあった文字通り最後の切り札でもあった。正樹はそこを狙って日本刀を突き刺した。下手をすれば支えていた左腕を直撃していたかもしれないが、ためらいなく豪快にやってのけた。左腕を改めて確認して、腕に流れた液体が、自分がつけた切り傷ではなく、仕込んだ液体であることにホッとした。

 …その決め手となった日本刀はかすかな水分を帯びていたものの、先ほどの虹色の輝きは急速に失われていった。

 それにしても紙一重の勝利だった。アポロンが正樹に放った最後の一撃は間違いなく正樹の顔面を狙っていた。それを日本刀で一閃したわけだが、加速された腕の方向まで返られなかった。変えてくれたのはアポロンが左足で吹き飛ばした車のドアが衝撃に耐え切れず、外れてしまったために目標がずれてしまい、正樹の横顔数センチをかすめていったのだ。それだけではない、自分の身体を支えていた手を離し、空中に身を投じるのがあと少し遅ければ、正樹は回転する車に巻き込まれて、下敷きになっていた可能性もある。…正樹の背中を車が回転しながら通りすぎていったのだ。

 ドアが外れていなければ、あるいは手をはなすのが遅かったら…過ぎ去った数秒前の想像をしてやめた。生死の分岐点を見極め、どうやら死地を越えたのだ。正樹は先代オーナーから譲り受けた店で、来年も仕事始めを迎えられそうなことに心から安堵した。

「それにしても、二度あることは三度ある…なんてことはないよな」

 横転している車と、機能を停止しているアポロンを見ながら、正樹は大きくため息をついて大の字になって寝転んだ。…あー、疲れた。

しかし、まだ問題は残っている。見渡す限りの爆弾の山、山、山…。

「やれやれ、まだ一仕事…っていうより大仕事が残っているなあ」

正樹は遠く離れてしまった、地面に置いた自分の工具箱を眺めながら、前途多難なことを思いやった…。

 下町風情の時計屋店主がミステリアスな地底王国で、深々とため息をついている池袋からおよそ9000キロ彼方の、ある施設で多少の時間差はあれど、一つのデータが届いた。白衣姿の男が大量に抱えていた資料をテーブルにおいて、内容を確認するために手元のキーボードを操作して表示画面に見入っていた。

「なんてこった…実験体が破壊されたらしいぞ」

そばにいた同僚が急ぎ足で近寄って同じように確認する。

「相手は…一人!? バカな! しかも実験体の以前の記憶がよみがえっている!?」

「どうやら以前の記憶が消去しきれていなかったようだな。…というより、バックアップ機能があって復元された可能性がある」

「致命的じゃないか! だから破壊された実験体の回収なんてよせば良かったんだ」

「国家予算に匹敵するものをゴミにできるか。とにかく大使館を通じて回収に当たらないとな。あんなものが公になったらことだ」

画面横のホットラインに接続されている受話器をつかんで、急いで報告をはじめる。もう一方の男はその場を離れてガラス越しに広がる空間を見つめていた。

「…確か、あの街は7人の悪魔が処刑されて、8人目のオンネンがいまも地下でうごめいている噂があったな。まさか、そのオンネンに影響されたとかじゃないよな…」

幼い頃に読んだいくつかの童話を思い出した。ファンタジーに彩られたそれらが、初版を読んだときのはかりしれない衝撃はいまでも覚えている。オカルトめいた想像力がひらめいたのはそのせいかもしれない。グリム童話といえば世界中で子供たちに愛されているが…。幻想的な想像から科学的な発想へと瞬時に切り替えたのは、ガラス越しの空間を管理しているせいでもあった。…ガラスの向こうに広がる巨大倉庫のような空間には、数え切れないほどのアポロンの姿をした自動歩兵たちがそれぞれのカプセルの中に納まり、横たわって目を閉じていた。まるで魔法によって目覚める時間を永遠に封印されている風にも見てとれた。そしてその一体が、計測センサーにも反応しないほど微かに指先が動き始めていることに誰も気づいていなかった…。

(To be Continued…)

(*この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません)

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